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2020.05.06

他人と比較しない


和田英「富岡日記」という名著がある。明治6年、15歳で富岡製糸場の伝習工女となった著者が当時の富岡での生活と思索と行動を約30年後に回想した記録。彼女は長野県松代出身で武家の娘として筋金入りの教育を受けた女性だった。明治維新の真っただ中、伝習工女には製糸場の指導者として役割が期待されていた。「天下のおため」を自覚した英は眦(まなじり)を決して松代から富岡に。国を背負い発展に力を尽くす気迫に満ち満ちている。新型コロナウィルスで「未曽有の危機」と大騒ぎだが、富岡日記を読むと我々がどれだけ豊かで平和な時代を生きているかと再認識させられる。さて、この10年ほどでよく使われるようになったフレーズに「イラッとする」がある。いまの時代を象徴する言葉だ。何を象徴しているかというと「大人の幼児化」。当時の和田英はいまならまだ子供だが、現代の大人よりずっと大人である。幼児性の中身には3つある。一つ目は世の中に対する基本的な構えの問題だ。子供は身の回りことがすべて自分の思い通りなるという前提で生きる。だが仕事での大切なのは「世の中は自分の思い通りにならない」という前提だ。本来は独立した個人の「好き嫌い」の問題を「良しあし」にすり替えてあわわあ言う。これが幼児性の2つ目だ。「好き嫌い」にすぎないことを勝手に良しあしの問題に翻訳するから、妙な批判や意見を言いたくなる。第3に大人の子どもは他人のことに関心を持ちすぎる。その人に関心があるというより、自分の不満や不足感の埋め合わせという面が大きのではないか。「出る杭は打たれる」。世の中とはそういうものではあるが、出るとか出すぎるというのは周囲と比較しての差分を問題にしている。比較してばかりの人は嫉妬にさいなまれる。子どもが「イラっとする」のも嫉妬であることが少なくない。人はそれぞれ自分の価値基準で生きている。人は人、自分は自分。ほとんどの場合、比較には意味がない。仕事ができる人ほど出来合いの物差しで他人と自分を比較しない。本当にスゴイ人は他人との差分で威張らない、自分のダメなところ弱いところを自覚し、自分の強みはあくまでも条件つきで全面的に優れているわけではないことをわきまえている。だから威張らない。自分一人ですべて秀でる必要はない。世の中にはいろいろな得手不得手の人がいる。そうした人々の総合補完的関係が仕事を成り立たせている。それが社会の良いところだ。他人を気にせず自分と比べず、いいときも悪いときも自らの仕事と生活にきちんと向き合う。それが大人というものだ。


 


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